あぁ住処讃歌。

11月から始めた、というか特にそんな気もなく何故だか続いている裏山ハイクが、16回目?17回目?と回数がわからなくなってきたのでそろそろカウントしようか と思っている昨今。


いわゆる低山ハイク。889mあり、御嶽が見える。

45分で往復できる。

まるで緑地公園を散歩しているような時間の使い方が、自分のやる気と気分、要するに生活にフィットしていて、どうやらやめられなくなっている。

「市街地でいうところの緑地公園的な立ち位置だな」と変換をしているが、しかしこの裏山は、人口2000人足らずの山間地の町にある、百名山でも万名山(なんだそれ)でもない山である。緑地公園で発する「おはようございます」は、確か2度ほどしか使っていない。

それほど人が少ない。



それが、続いている要因でもある。

人が少ないが故のメリットを存分に享受していると感じるのか。

(地方創生の文脈がコロナ以降も続いている昨今において首を捻られそうな発言だが、地方創生をしばらく見てきた中での発言なので異論は受け付けない。あくまで自分の意見である。)

一言でいうと、社会の影すら当たらないこの山で”気兼ねなく”山に向き合えるのが、心地いいと感じている。

熊鈴を鳴らさず、無音、静音の中に息と踏み音が山道の霞に残る。

霞が見えるのは、静かな山道ならではだろう。


↑12月8日。


11月からの裏山ハイクで一度だけ、土曜日の昼間に登った。(臨時休業をいただいた日です)

山頂に着くと、その日は3組ほどが山頂でそれぞれの時間を過ごしていた。

「どこから来たのか」「御嶽は」「紅葉は」と、山好きで山慣れしている人たちとの会話はテンポ良く、体が冷えない程度の数分で”結”へと流れ、心地よく感じる。


社会の影すら当たらないこの山での山好きとのあいさつは、どこかホッとするところがある。




今住んでいるところは、自分の正しい居場所だと思っている。

6年住んでいる。

地域は時に冷たい。しかしその床下には暖かな熱源がある。なので表面的な冷えを感じることもあるが、体はポカポカと暖かい。

暖かいのは、生活の文化、継がれてきた暮らしががまだ辛うじて残っているからだ。

その文化を持っている世代が段々と旅立っていく時代。あまりにも悲しいではないか。日本にとっても、自分にとっても。


6年住んで、実にいろんなことがあった。

冷たさも暖かさも両方感じているが、総評すると、ここは今の自分の居場所である。


ポカポカと暖かいし、それでいて、”霞”は其処彼処で人の心に思慮を与える。



なんだか住処の讃歌になってしまった。

土本自転舎

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