新年明けましておめでとうございます。
弊社の2025年は冬季営業の状態でスタートしますので、基本的に予約制となります。
とはいえ明日に納車があるため、明日が新年営業スタート ということになります。
家の目の前が仕事場である上に、これだ と思ったジャンルを仕事にしているため、常日頃から仕事のことが頭の片隅にあります。
そんなことは当たり前なのかもしれませんが、苦痛に思うことなく仕事のことを考えられるのは、自分なりの働き方だと腑に落ちています。
ちょっと前に、自分は自転車屋というよりは自転車整備士だな と書いたことがありました。
それは、世の中において自分の力で変えられるところは限定的だと悟った”自分の限界”を表しており、自分の望む世界と世の中のニーズとの乖離であり、そして変えられる部分をあらためて見つめ直す と俯瞰した立ち位置に前向きな諦めを持って登った上で感じたことでした。
所詮 という言葉は、後ろ向きにも前向きにも捉えられる。
僕にとっては前向きな言葉であり、「所詮自転車整備士」と胸を張って言えるのは、明日の納車を含め今まで弊社に自転車を預けたり、相談したり、架空の自転車についてあれこれと議論を交わしたりしていただいた皆様のニーズが、自信を与えてくれたからです。
自分にできるのは、ここからここまで。
ではなぜ「ここからここまで」以外はできない(やらない、もしくはやめた)のか。
それは、自分にとって腑に落ちなかったり、もっと言うと、大義名分を旗に人を無理に動かしていたり、そして「変えられないものを変えようとしていたり」するからだ。
例えば道路事情を見ると、
歩道があり(あるいは無い)、車道がある(道=車道である)。そしてその両脇には宅地農地雑種地森林とある。
自転車が走るところはどこだろう。
一応、法律で指し示されているが、そこは「車道と歩道の間にある隙間」と表現して差し支えない程度の細いレーンだ。法律で指し示されていても、実際には明確なレーンは無いに等しい。
そこに「安全に走れる自転車レーン」を敷こうとすると、「宅地農地雑種地森林」を削らねばならない。
それ、誰ができますかね?と言う話になる。
自転車愛好家の政治家が、タッチしなかった(したのかもしれないが)ところだ。というか僕のような小市民ですらちょっと考えただけで「無理」と思う。
あるいは車道を削る?あり得ない。車は都市部を除いて生活に必須だ。そして経済の要である。(ここは豊田市だからものすごくよく理解している。)
自転車、スポーツサイクルが市民権を得る と言うのは、化石燃料が枯渇しない限りは無理だろう。って、EVがアレか。
EVがアレだ。そうなるといよいよ本当に無理である。いやでもEVも化石燃ry(略)
っという様な議論は、界隈ではとてもしにくい。
と言うのも、耳が痛いし都合の悪い話なので誰も聞きたくないからだ。
それを言っちゃあおしまいよ と言われてしまう。(実際にキレられたこともある笑)
しかし、これが事実ではないだろうか。
残念ながら、自分の思うような理想には現実は成らない。無理という言葉が存在するくらいだから、無理は存在するのだろう。
「変えられないものを変えようとする」のは無理が生じる。
ところで、変えられる部分というのはなんだろう と思うと、これが実際に色々とあるわけで、
僕はこれに向かって進もうと、決意したわけです。
『変えられないものに固執しない。変えられる部分を見つけて自分のアイデアで挑戦する。』
これが今年の指針。というか、これからの指針です。
では明日から、よろしくお願いします。