日記


意外と好評です(自社調べ)。

暇つぶしにどうぞ。店主の熱い思いを書く日もあれば、ダラダラと書く日もある、そんな日記です。


暑いんだか寒いんだか、よくわからない日が続いています。

何着ていいんだか、過ごしやすいんだかなんなのか。

昨日は暑かったから今日は薄着にしよう と思ったら今日は小寒い。

おまけに天気は大荒れで、嵐のような強風が吹いたり、”ひょう”が降ったりしている。


ああいうふうに思ったり、こういうふうにも思ったり。

世の中にはいろんな考えや主義がある中で、その中の”これだ”と思ったものに一本筋を入れることは、よほどの自信が必要である。

言うなれば、

”軸を突き刺してしっかり安定させる”ほどの強い軸を持つことも、

そしてその軸を「”これだ”と思った考え」に対してまっすぐ、腰を入れて、慎重かつ大胆にまっすぐ突き刺すほどの力を持つことも、

自信がなければ、軸が弱く曲がりやすかったり、たとえ強い軸でも「考え」に対してまっすぐ軸を入れることができなかったりする。

でも暑かったら薄着になったり、小寒いと感じたら羽織ったり、そんな感じでやっていくのも別にいいじゃないか とも思う。


一つの主義にこだわり続けて自信を持っていても、「この自信、どこから来るんだっけ」と別の目線を持っていなければ、それは単なる「固執」であって、ものごとを見る目はそこで止まってしまう。



市街地ではシェアサイクルの”シェア”が広がり、かつて通勤用で購入されていたクロスバイクなどは軒並み売れなくなっているらしく、スポーツサイクルの利活用がいよいよ「アクティビティ」のみになっていくんじゃないか なんて思っている。


それと別の流れとして、

豊田市の市街地周辺でヨツバサイクルの体験ブースをやるたびに、自転車に乗れない小学生が多いことに気づき、自転車を移動手段として使わない子供達がとても多いんだなぁ と実感する。


アクティビティ化していく一方、乗れる人が減っていく自転車。

なんとも寂しい話ではあるが、業界が未だに海外のものや文化ばかりにフォーカスを当て、

海外で売れているものを日本に持ち込むというスタンスを貫く姿を見ていると、それも仕方がないことなんだなと思える。


マクロに絶望を感じながらも、ミクロでは希望を感じている。


先日行ってきた三重県いなべ市がまた最たる例でもあるが、

地元ローカルが肩肘張らず気持ちのいい遊び方をしていて、こうするべきだ!みたいなうるさいことを言う人もおらず、皆が無理せず楽しむ姿を見てきて、

これが正解だなと感じ、自分もこうありたいなぁ なんて思いながら(高速のETC不具合を迂回回避して)帰ってきました。



良いことを言うと良く見えるに決まっているが、それに付き合わされ、同じ船に乗ったはいいがブンブンと振り回される人をいろんなところで見てきた。

また振り回されないように距離をとっている人たちも見てきて、

耳障りの良いこと、また非常に前向きな言動というのは人のリソースを奪いかねない ということを学んだ。

”ド正論”が他人を削るのはどこにでもある話だと思うが、

いなべではそれを感じなかった。


それをしないように心がけるローカルたちを見てきて、

トップダウンではなくボトムアップで物事が進んでいくことに納得がいった。


正論を言うとそれがトップとなり、続く人はその下で動くことになる。

最初はいいが、事が進むと段々と正義のためにリソースを削らざるを得なくなり、やる気まで削られていく。

ド正論を言わない というのは、文化が成熟していくためには極めて大切なことなんだなぁ なんて思った次第です。



とまぁ、写真を添えずに文章ばかり書くブログが続いてしまって申し訳ないですが、自分のアウトプットの場なので、すいません。


と言うわけで、お陰様でバッグも好調になり、自転車案件もぼちぼちといただいており、平常運転の土本自転舎。

明日は臨時休業をいただきまして、火曜水曜定休、次は木曜日から、よろしくお願いします。


暖かくなってきました。

今年から米作り、養蜂を始めまして、春が結構バタバタするようになりました。こういうことができる田舎は素晴らしい。僕は、手を動かすことにこの上ない喜びを得る人間なので、田舎は性に合っています。


バッグの試作品がかなり調子が良かったので、爆速でラインナップ入りさせるために準備中です。

来月からはあけび沢パンプトラックを再開するので、それも少しずつ準備中。


あけび沢パンプトラックの管理人がいる日、まずは6月までの日程をリリースします。

HP内にパンプトラックのページもあるのでそちらもチェックしてください。

詳細は近日中にアップしますが、今年ももちろん手ぶらで参加できます。レンタサイクル・ヘルメット完備。


パンプトラックを攻略するコツもお教えしますので、スキルアップにもぜひ。

パンプトラックが楽しめるようになると、全国各地のいろいろなマウンテンバイクコースがもっと楽しめるようになります。パンプトラックは安全なスキルアップができるので、老若男女問わずおすすめです。




そういえば先日書いたブログで「繋がり」についての個人的な感想と言うか、違和感を書いたのですが、なかなかこの違和感を表現するのは難しいなぁと、改めて読み返してそう思いました。

「繋がり」の悪い面ばかりが社会に表出しているこの時代では、生きづらさの根底にあるものがなんなのか を知るにはそれなりの深掘りが必要で、

深く掘っていると、知らず知らずの間に「繋がり」の悪い面ばかりを見てしまう、そう感じました。


とはいえ、繋がりの良さもしっかりと感じているので、そこも踏まえて改めて書かなければなぁ と、少々反省している次第です。


「繋がりが生む生きづらさ」は確かに存在していて、なぜ、いつから、それが存在しているのか の答えとして、最近読んだ本の中に面白い考察がありました。


詳細に書くことは避けますが、要点だけ書くと、


江戸時代までは、縦の繋がりと横の繋がりは分かれていて、

藩士(武士)は縦の繋がりで統率をとり藩を守る代わりに給が支払われる、農民は横の繋がりで互助を生み、程度にもよるが能力によらずそれぞれが生きていけるよう助け合った。

といった具合に、繋がりの良い面が機能していた。


しかし明治維新以降、戦争に勝つために国家総動員という名目で、縦の繋がりと横の繋がりは一緒くたにされ、国家の都合のいいように繋がりが使われるようになった。

縦の繋がりによる上からの統制と、横の繋がりによる相互監視が国民に広がった。


縦と横が(ある意味)うまく機能することで、国家を一つにまとめ、国家総動員がなされた。

それは、縦の繋がりの”悪い部分”と、横の繋がりの”悪い部分”が機能してしまうことで、結果、窮屈な社会を生むことになった。

そしてそれは、現代にまで続いている。

僕がどうにも「繋がり」という言葉が好きになれないのは、

こうした悪い面による生きづらさを無視できないからだと気づきました。


というわけで、

江戸時代400年の”横の繋がり”というのは実際どんなものだったのか というのはとっても気になるところです。


それにしても、現代というのは、激動の時代なんだなぁ。。



ってわけで、今日はこの辺にしておきます。

では明日、よろしくお願いします。

だいぶ暖かくなってきました。朝晩は少し寒い(3度くらい)ですが、日中は15度を超えることもあり過ごしやすい気候です。家族4人で外でポカポカとできる貴重な季節。


我が家は2人の息子がおり、1人目はもうすぐ5歳。けん玉・あやとり・コマ・散歩・絵本少年です。うどんを打ったり餅米から餅を作ったり、けん玉はけん先以外の世界一周ができたり、2キロ歩いて祖父母の家に行ったり、毎日楽しそう。

2人目は7ヶ月。やわらかい”ひなた”の匂いがします。



文章を書くことで自身の考えをアウトプットする ということが自分を支えるものの一つとなっており、それゆえに些細な表現にも気を配ってブログを書いています。

ちょっとでも「ん?」と思った表現は書き直すし、書きながら何度も読み直して修正をしていく という感じで、このブログが大切な表現方法のうちの一つなのは今も変わりません。


しかし最近少し投稿回数が落ちているのは、ブログの題材の表現を「安易な表現」として書きたくなかったということと、安易なアウトプットをしたくなかった というわけです。


綺麗なことを「綺麗だ」と書いたり、

悲しいことを「悲しい」と書いたり、

楽しいことを「楽しい」と書くことはしたくない。


たとえ潔癖だと言われようが、どうしても自分が納得しない。

(ちなみに喋る時はそんな表現ばかりしている。元々人との会話が苦手だった部分を、接客仕事で自分なりに技術の習得をすることでカバーしてきたので、レスポンス早く返事をするために簡単なそれっぽい表現をして日々をこなしている。ただそれがうまくいっている実感は感じられないが、、、。)


そんなわけで、それっぽい安易な結論や、安易な表現というものが、たとえ他人が表現したものだとしてもどうしても気になって仕方がなくなってしまうくらい、今まで以上に潔癖になってきている。


しかし僕の尊敬する人が「悲しいことを”悲しい”と歌うJPOPが多いけど、なんだかなぁ」と言っているので、そこで僕は自分の潔癖性を肯定された気がして気が楽になっています。



「繋がり」「繋がる」

という表現は、アグレッシブな移住者や、思想を持った田舎暮らし推進者の中でよく使われている。

〇〇な繋がり、人と繋がろう。

「コミュニティづくり」とも表現がされます。


僕の(ある部分においての)潔癖症が邪魔をして、この表現の言い換え単語を考えている。要するに、好きになれない。

なんでかなぁ と、ここ1年くらいずーっと考えている。

ちなみに僕の好きな小説家(多分誰でも知ってる人)がエッセイで、友達がいないという読者からのメールに対して「友達なんて居なくてもいい。」と(かなり端折りますが)書いていて、そして友達作りたい人は「都合のいい人と友達になりたいだけ」ではないか と書いていて、これまた気が楽になっている。(昔の小説家は変わり者 というのは言わない約束です)


ちなみに僕にだって友達はそれなりにいるわけで、妻からするとどうしてこの人たちが僕と友達なのかよくわからないらしいのですが、それは幼馴染から始まる摩訶不思議な縁だったり、マスとちょっとうまくやれない者同士の偶然の出会いからの共感だったり、なんとなくピンとくるものだったりする。


要するに、友達になろう!と思って友達になるものでもないし、理由なんて明確にするのは野暮である。それらは全て「なんとなく」である。


そういう曖昧模糊なものに対して、明確な行動として「繋がろう!」と言われると、ちょっと、いやかなり引いてしまう。


「繋がり」という言葉が嫌いな人は、僕の周りには結構いる。

彼ら彼女らは、普通に友達は居るし、なんなら誰よりも後輩の面倒見がよく若年の人たちに慕われ、上から一目置かれている人だっていっぱいいる。


ということは、僕も含め「繋がり」が嫌いなわけではなくて、「繋がり」という表現が好きになれない ということではないか と、ようやく気づいたわけです。


「繋がろうよ!」と言われたり、それがたとえイベントの案内だとかのチラシだったとしても、その安易な表現がどうしても引っかかってしまう。

そして「全力で繋がり作り」ありきの人生やそのイベントの時間なんてまっぴら御免であり、そういうのは偶然だからいいんじゃないか と思っている。


極論ですが、「繋がろう!」と息巻いて集まってきている人がフロアの中にたくさんいるとしたら、その中に否が応でも入りたくない。

それよりもうちの近所のおじいちゃんおばあちゃんと話している時間の方がよっぽど楽しい。

それは元々は偶然の出会いであり、予想のつかない話になったり、時々会話にならなかったりする。そして”人それぞれだなぁ”なんて思う。僕のおじいちゃんは「人は人、自分は自分」とよく言っていた。


とまぁここまで書いておきながら、自分だって人が集まることたまにやってるじゃん とツッコミが入りそうですが、

僕は、「繋がり」とか「繋がろう」みたいなことを言ったことは無い。

そしてそういったものは、偶然がそれを作るから面白いのであって、偶然起こることに対して予めプログラムとして書くことはナンセンスである。


「美味しいと言おう!」饅頭の作り方講座 なんて講座、受けたいと思いますか。

書かないから、いいのです。


というわけで、「繋がり」「繋がる」「コミュニティ作り」 という表現、なんとかならないものかなぁ と思っています。

それは安易な表現であり、また安易な結論であり、そして前向きな人生に向けた「それっぽい言葉」である。



「安易な結論」や「それっぽい言葉」というのは、聞こえがいいし、取り付く島(いや、チープな浮き袋とでも表現しようか)として都合がいい。

1日の中で、人の真剣な話し合いの時間なんてものはたとえ長時間に及んだとしても集中力が保たなかったりするので、安易な結論に流れがちである。


特に地方創生の文脈の舞台である田舎では、課題(と表現したくはないが)や、背負うものが市街地よりも3つくらい多いので、安易な結論ばかりが飛び交うと気が滅入ってしまう。

またそれか。もうそういうのいいよ と思ってしまう。


「人が少ない」「政策がこちらを向いていない」「山や田んぼどうする」「文化が絶えそう」

そうした中でどうやって面白く生きてく?という議論を、安易な結論やそれっぽい結論を抜きにして考えたいし、議論がしたい。


そんな感じでずーっとモヤモヤしていましたが、ようやく表現ができて気分がいいです。表現したいことの8割はかけたかな??




で、明日ですが、

納品のため出張しています。終日臨時休業とさせていただきます。

20日の木曜日も所用のため休業とさせていただきまして、

次回のオープンは21日金曜日となります。



では21日から、よろしくお願いします。

今日も今日とて裏山ハイクに行ってきました。

2月は登山頻度が下がってますが、まぁ自分なりに登ってるだけなので特段気にしてもいないです。

しかしなんと、山頂ノートに登山回数をメモする人がもう一人増えて(しかも結構なペースで登っている)、そんな気持ちが少し騒ついています。



先週末に千石公園にお越しいただいた皆さま、ありがとうございました。

嬉しいことに、2日ともSALT WORKSのフルオーダーバッグをつけた自転車をわざわざ持ってきてくれたお客様に恵まれ、また山や自転車を通じて出会った方たちにも再会できて、いい2日間でした。


そして個人的にとても(見ていて)楽しかったのがトラッククロス。

これは言葉ではなかなか伝わらないところですのであえて書きませんが、

その翌日に稲武の地域会議の委員(自分も委員)のメンバー全員と市長との話し合いがあり、その両日で骨身に染みて感じたことが、「教養」についてです。


山への教養、街への教養、海への教養。地球への教養、インターネットへの教養。


例えば、

山間部で暮らすには、山や自然への教養がなければ日々を楽しむことができないし、自然の豊かさにも気づけない。海辺も然り。

あるいは街に暮らすにしても、それ相応の教養がなければ街で前向きに楽しんで暮らすことができない。


教養とは人の面にはなかなか表出してこない部分だと思いますし(顔に「教養あり」とは書かれていない)、ましてや口下手や文章下手だったりすると、いよいよ表出しない。


楽しく暮らしている人だったり、趣味があったりする人、たくさんの本を読める人・・・というのは総じて、「暮らし」「趣味」「読書」「山」「天気」「エンタメ」「社会」・・・に対しての知識と教養がある。



山に暮らしながら「ここが自然が豊かだと思ったことがない」という地元の人は、結構います。

それは「山」への教養がないということである。

しかし、その他の教養があったりするので、良し悪しの問題ではないが、

せっかく暮らすのならば、暮らしているところに対しての教養は持っているといいなぁと感じたわけです。


ちなみに私は、子供の頃から虫が好きで、森や林の中に入っていくのが本当にワクワクする体験だったのを覚えています。なので昆虫の図鑑や鳥の図鑑をずーーっと読んでいて「山や自然への教養」を身につけました。

また小学生の低学年くらいまでは、家の横でうちのおじいちゃんが畑をやっており、無農薬の野菜を食べて育ち、周囲に山林が広がっていて家の前にタヌキがいたりしたものです。(中学生あたりから開発が進み、それらは無くなりましたが)


なので現在、山間部に移住をして6年目の今でもここでの暮らしは本当に楽しいものであり、ワクワクするものであり、これからも一生山間部で暮らしていきたいと思っています。


逆に、街への教養が無かったがために、街には馴染めなかったのです。

今思い返すと、最寄りの駅まで歩いて30分かかり、自転車で行こうものなら帰り道はずーっと上り坂だったことや、家の周囲に街の面白さを紹介するような媒体が一つもなかったこと、

そしてテレビのチャンネルの権利を握っているおじいちゃんがエンタメ大っ嫌いで、時代劇と「人生は波瀾万丈(っていう名前の番組だった気がする)」ばかりを一緒に見ていた(おじいちゃんっ子だったので)ことで、

街への教養というか街への興味すら湧くことはなかったなぁ と、

それがあって、興味に対してしっかり集中できたのかなぁ と考えています。



と、いろいろ書きたくなってきましたが、タイムオーバーですのでここらへんで。



では明日よろしくお願いします。

社会にはマクロとミクロとがあり、

マクロの意見とミクロの意見があり、

マクロの生き方とミクロの生き方がある。


ただどうしてもマクロの方が大きいし多いから、

ミクロは批判されやすく、そして寄ってたかって足を引っ張られやすい。


しかしミクロの居場所はきちんとある。


自分の居場所がどこなのか(もしくはおおよそどの方向なのか)を、子供の頃から自然と表明がしやすいような世の中になったらなぁ なんて思いながら、

マクロに育って自分のミクロに気づいたり、ミクロに囲まれて自分のマクロに気づく という具合に、

いろんなところに頭をぶっつけてなかなか消えないたんこぶができたり、周囲にトラウマを作りうんざりしたりしながら気づくものなのかもなぁ とも(悲しいが)思う。



で、

ミクロである田舎にわざわざ来て、楽しく暮らしながら7年目に入ったのですが、

ここにいると、街暮らしと山暮らしのさまざまな感覚の違いを目の当たりにしたり、山暮らしに対して共感されないなぁと思うことが多々あり、

街から山に対して共感することって一体なんだろう と、ふと考えることがここ1年は特に多くなりました。


ミクロがマクロに共感されること というのは確かにあると確信をしながら、

ミクロの集合体はマクロから見ると特異的だったりして、入り込めない雰囲気を醸す。


私は現在、それはそういうものだ と片付けていますが、

しかし、

焚き火を見ると和む とか、

景色のいいところに別荘を とか、

澄んだ川に見とれるように、

なぜだかそこにはミクロとマクロが共感するものがある。



私は それはそういうものだ と片付けていますが、

それでも、共感のポイントが確かにある というところは忘れないようにしようとここ最近思うようにしています。




とまぁそんなことを思いながら、

今春からあけび沢のパンプトラックを再開すべく、色々練っています。


ものすごくリニューアルをするわけでもないのですが、

いい時間が過ごせる1日を、月に一度持ちたいなぁと思っていますので、

続報をお待ちください。




明日明後日は不在です。


では木曜日から、よろしくお願いします。

1月の中旬までは、3日に1日くらいは雪が降っていた感覚があるのですが、中旬は暖かく過ごしやすい日が続き、よし と思ったのも束の間。一昨日からまた雪が降り始めて、今日はキリッと寒い。


おそらく1年半ぶりくらい?に1ヶ月弱ブログを空けたのがどうにも気になってきているのですが、なかなか考えが纏まらないためにあえて書かずにいる状況です。

そういう状況の今は大切な時期だと思っているので、無理に結論を求めず、無理に書かないことにしています。


というわけで、最近はずーっと同じ「問い」が頭の中をグルグルと回っており、そしてその結論は出ない という感じです。



安易な結論(持続可能・地方創生と書かれた空箱)ばかりが街から田舎に持ち運ばれたり田舎で作られたりして、箱の中身を開けた人は「あれも空箱、これも空箱」と段々と疲れてきてしまい、呆れる人がけっこう増えているようです。(現象として「サスティナブル疲れ」と言われているようです。)

僕もその一人です。そして空箱も作っていたり加担していたかもしれない。


無論、結果として空箱を作ってしまった人はそれはそれで一生懸命作っているのだから表立ってあまり文句は言えない。

むしろ、(自分にも返ってくる言葉だが)たとえ空箱になってもトライするというのは決して悪いことではない。



例えば箱を作って、それが空箱だと気づいた。もしくは空箱だと指摘されたり人が付き合ってくれなくなったりして、空箱だと気づいた。

もしくは、中身のある箱になっているつもりが、人から見たら空箱に見えてしまっていた。


そうした時に、田舎や自然に身を置くことが心底好きだったり、未来に向けて末長く住む予定だったり、根強い思いがあったりすると、結局はめげずに続けられるようだ。



で、最初に書いた「問い」についてですが、

それはまた後ほど。



そういえば、

先日キッズマウンテンバイクを修理で納車した方から翌日電話がかかってきて、「すわしくじったか」と恐る恐る電話に出たら、

「ありがとうございました!見違えるほどで感動しました!」と中学一年生の子がわざわざ電話をしてくれてお礼を言ってくれた。


感動。




では明日もよろしくお願いします。

今年は雪が多く、冬籠感があるだろうか と思っていましたが、ありがたいことに連日ご来店いただいて感謝感激です。

この3連休は来客予定が入ったため、シクロクロス出店を見送り店に居ります。




今春に向けて、作業場や展示のレイアウトを変更したり、あけび沢パンプトラックの運用方法を模索したりと、自分なりに再スタートをきりました。


あけび沢パンプトラックは今シーズンの運用が少なかったのですが、それは運用方法の問題や、僻地で過疎地という「どうしようもない」部分を目の当たりにして、反省しつつ無理せず少し休憩 といった気持ちで、距離を置いていたからです。


できれば途切れることなく在り続けることがベストなのは重々承知しているのですが、距離を置いたからこそ知ることもあるため、これはこれで必要な期間だったと思える様な形で再スタートして、この場所に来ることが色々な効果を生むことになる という様なコンセプトでやり直せたらと考えています。



書きたいことが色々ありますが(仕事のこととか、家のオフグリッド率とか)、書くことで気持ちよくアウトプットができるので、じっくり書ける時にじっくりと、またブログで綴っていきます。


では明日もよろしくお願いします。

新年明けましておめでとうございます。


弊社の2025年は冬季営業の状態でスタートしますので、基本的に予約制となります。

とはいえ明日に納車があるため、明日が新年営業スタート ということになります。



家の目の前が仕事場である上に、これだ と思ったジャンルを仕事にしているため、常日頃から仕事のことが頭の片隅にあります。

そんなことは当たり前なのかもしれませんが、苦痛に思うことなく仕事のことを考えられるのは、自分なりの働き方だと腑に落ちています。



ちょっと前に、自分は自転車屋というよりは自転車整備士だな と書いたことがありました。

それは、世の中において自分の力で変えられるところは限定的だと悟った”自分の限界”を表しており、自分の望む世界と世の中のニーズとの乖離であり、そして変えられる部分をあらためて見つめ直す と俯瞰した立ち位置に前向きな諦めを持って登った上で感じたことでした。


所詮 という言葉は、後ろ向きにも前向きにも捉えられる。

僕にとっては前向きな言葉であり、「所詮自転車整備士」と胸を張って言えるのは、明日の納車を含め今まで弊社に自転車を預けたり、相談したり、架空の自転車についてあれこれと議論を交わしたりしていただいた皆様のニーズが、自信を与えてくれたからです。



自分にできるのは、ここからここまで。

ではなぜ「ここからここまで」以外はできない(やらない、もしくはやめた)のか。


それは、自分にとって腑に落ちなかったり、もっと言うと、大義名分を旗に人を無理に動かしていたり、そして「変えられないものを変えようとしていたり」するからだ。



例えば道路事情を見ると、

歩道があり(あるいは無い)、車道がある(道=車道である)。そしてその両脇には宅地農地雑種地森林とある。

自転車が走るところはどこだろう。

一応、法律で指し示されているが、そこは「車道と歩道の間にある隙間」と表現して差し支えない程度の細いレーンだ。法律で指し示されていても、実際には明確なレーンは無いに等しい。


そこに「安全に走れる自転車レーン」を敷こうとすると、「宅地農地雑種地森林」を削らねばならない。

それ、誰ができますかね?と言う話になる。

自転車愛好家の政治家が、タッチしなかった(したのかもしれないが)ところだ。というか僕のような小市民ですらちょっと考えただけで「無理」と思う。


あるいは車道を削る?あり得ない。車は都市部を除いて生活に必須だ。そして経済の要である。(ここは豊田市だからものすごくよく理解している。)


自転車、スポーツサイクルが市民権を得る と言うのは、化石燃料が枯渇しない限りは無理だろう。って、EVがアレか。

EVがアレだ。そうなるといよいよ本当に無理である。いやでもEVも化石燃ry(略)



っという様な議論は、界隈ではとてもしにくい。

と言うのも、耳が痛いし都合の悪い話なので誰も聞きたくないからだ。

それを言っちゃあおしまいよ と言われてしまう。(実際にキレられたこともある笑)



しかし、これが事実ではないだろうか。

残念ながら、自分の思うような理想には現実は成らない。無理という言葉が存在するくらいだから、無理は存在するのだろう。

「変えられないものを変えようとする」のは無理が生じる。



ところで、変えられる部分というのはなんだろう と思うと、これが実際に色々とあるわけで、

僕はこれに向かって進もうと、決意したわけです。



『変えられないものに固執しない。変えられる部分を見つけて自分のアイデアで挑戦する。』



これが今年の指針。というか、これからの指針です。



では明日から、よろしくお願いします。


ここしばらくは雪が降る日が多く、今年は早い時期から雪景色を見られた稲武。


雪が降ると一気にしんとするこのエリアですが、今年も弊店をさまざまな形でご利用いただいた方たちに助けられ、大晦日を迎えます。


皆様、今年もありがとうございました。



来年も出店、店舗との両刀使いでやっていきますので、またいろんなところでお会いできれば幸いです。




4日ぶりとなった今朝の裏山ハイク。

重たくなった足捌きが気になって仕方がなかったが、今日も今日とて歩いた。


山頂は辛うじてうっすらと雪が残ってる。

隣村、根羽村の高いところはもう道に雪があるというのに、ここは降ってもまだまだ積もりません。(稲武の高原 亀甲苑は雪があると思われる。)

言うまでもないが、自分は冒険家のごとく過酷なフィールドに向かうわけでもなければ、強靭な自転車レーサーでもなんでもない。


サイクリングはそこそこ、渓流釣りは日帰り。裏にある山にチョコチョコと登っては、山はいいなぁと満足している。


言わば、中くらいのアウトドア愛好家だ。

中くらいと言えば、所詮中くらい。

しかし中くらいのアウトドアでも、そこそこ続けてきたつもりだ。


移住して6年、そんな「中くらいのアウトドア」は生活の一部となり、より濃密に「中くらい」をやっている気がする。


0か100か、ではない、中くらい。100はおそらく冒険家か。

もちろん冒険家に憧れはあるが、そんなことを言いながらやっぱり、中くらいのアウトドアをやっている。


でも中くらいでいいと思っている。



ここで事細かに書くのはやめとくが、田舎暮らしも中くらい。ほどほどにいい加減でやっています。

(100は、電気引いてない完全オフグリッド)





ってことで、今日は中途半端ですがこの辺で。

中くらい ってことです。



冬季は予約制です。

よろしくお願いします。

11月から始めた、というか特にそんな気もなく何故だか続いている裏山ハイクが、16回目?17回目?と回数がわからなくなってきたのでそろそろカウントしようか と思っている昨今。


いわゆる低山ハイク。889mあり、御嶽が見える。

45分で往復できる。

まるで緑地公園を散歩しているような時間の使い方が、自分のやる気と気分、要するに生活にフィットしていて、どうやらやめられなくなっている。

「市街地でいうところの緑地公園的な立ち位置だな」と変換をしているが、しかしこの裏山は、人口2000人足らずの山間地の町にある、百名山でも万名山(なんだそれ)でもない山である。緑地公園で発する「おはようございます」は、確か2度ほどしか使っていない。

それほど人が少ない。



それが、続いている要因でもある。

人が少ないが故のメリットを存分に享受していると感じるのか。

(地方創生の文脈がコロナ以降も続いている昨今において首を捻られそうな発言だが、地方創生をしばらく見てきた中での発言なので異論は受け付けない。あくまで自分の意見である。)

一言でいうと、社会の影すら当たらないこの山で”気兼ねなく”山に向き合えるのが、心地いいと感じている。

熊鈴を鳴らさず、無音、静音の中に息と踏み音が山道の霞に残る。

霞が見えるのは、静かな山道ならではだろう。


↑12月8日。


11月からの裏山ハイクで一度だけ、土曜日の昼間に登った。(臨時休業をいただいた日です)

山頂に着くと、その日は3組ほどが山頂でそれぞれの時間を過ごしていた。

「どこから来たのか」「御嶽は」「紅葉は」と、山好きで山慣れしている人たちとの会話はテンポ良く、体が冷えない程度の数分で”結”へと流れ、心地よく感じる。


社会の影すら当たらないこの山での山好きとのあいさつは、どこかホッとするところがある。




今住んでいるところは、自分の正しい居場所だと思っている。

6年住んでいる。

地域は時に冷たい。しかしその床下には暖かな熱源がある。なので表面的な冷えを感じることもあるが、体はポカポカと暖かい。

暖かいのは、生活の文化、継がれてきた暮らしががまだ辛うじて残っているからだ。

その文化を持っている世代が段々と旅立っていく時代。あまりにも悲しいではないか。日本にとっても、自分にとっても。


6年住んで、実にいろんなことがあった。

冷たさも暖かさも両方感じているが、総評すると、ここは今の自分の居場所である。


ポカポカと暖かいし、それでいて、”霞”は其処彼処で人の心に思慮を与える。



なんだか住処の讃歌になってしまった。

※12月1日(日曜日)は臨時休業いたします。



急に寒くなり、手の悴み(かじかみ)に慣れない。昨日に続き、今日も寒い。

ちょっと前まで 暑い暑い と言っていた気がするが、あれはなんだったんだろう。


さてここ最近は裏山ハイクが調子良くテンポよく、体も使い景色良く、おまけに薪(たきぎ)集めにもなる と言う具合に山生活にフィットしている。


おまけにバッグのアイデアも浮かんだりして、夜な夜な試作し、そして山に持ち込んでいる。


自転車で使うのに調子良く、ハイキングをはじめ山での活動にも使うことができて、おまけにデザインの守備範囲が広く普段使いにも持っていける というバッグを作り始めてしばらくが経ちました。


「誰かの何かの役に立っているのだろうか」と、自問することも多々ありますが、

実際に使われている方を見かけると、あぁよかった とホッとし、また制作に没頭します。




一人が作っているものよりも大手の手がけるものの方が社会により広く浸透していくのは当たり前であり、そこは変えることができない部分。

しかし大手では賄いきれない隙間を埋めていく ということはできますので、自分なりに見つけたその隙間を埋めるべく、続けています。




そう、世の中には、よほどの天変地異が起きない限りは変えられない比率がある と感覚的に思っています。

前述したこともそうですし、その他にも色々あるでしょう。



例えば街暮らしと田舎暮らしの比率もそうだ。

「住むには尾張旭(故郷だから引き合いに出してもいいでしょう)よりも名古屋、名古屋よりも東京。少なくとも田舎よりは市街地だろう。」

といったように、普通はそれなのだから、そこは変えられない という例えは多くの方が(このブログの読者は違うかもしれませんが笑)頷くでしょう。


「田舎は縛られた生活で、都市部はより自由度のある生活。」(僕はその逆だと思っているが)

田舎が好きで田舎に住む と言う人が子育て世代も含め比率が増える という世界には、相当な天変地異(それが起こったらおそらくとんでもないことになる)が起こらない限り成らないと思っている。




田舎の中にも比率があり、変えられない部分がある。

そう思うと、世の中そういったものなのだろう と俯瞰して見ることができる。




事の始まりが段々と大きくなり、そして比率が生まれる。

元々はマイナーで小さく始まったものが段々とマスに移行し、場の面白みや軽さが段々と硬く重くなっていく。

しかしそこにはきちんと「変えられる部分」があり、そこの部分でうまくやっている人を見て、あぁすごいなぁ と素直に尊敬し、自分のあるべき姿を再認識することがある。


と同時に、変えられない部分に固執してしまう性を見ることもある。



数学的には「定数」「変数」というらしい。

定数は変えられない。変数は変えられる。



要するにどんなジャンルにも変えられる部分があり、そこでいかにやっていくか だなぁと感じたわけです。

そこで初めて「誰かの役に立っている」ことになる。


アウトドア。サイクリング。

小さいジャンルですが、自分にできることを自分なりにやっていくつもりです。



明日は臨時休業とさせていただきます。