「違う」が壊す。でも頑張る。

先日、とある記事に出会いました。


それは自分が漠然と思っていたこと、まだ輪郭がなく、ましてや中身もまだよく分かっていないけれどそれでも思っていることには確か という段階のものに明確な輪郭を描き、中身を把握することに至った記事となりました。


僕はネット上に代弁者を求めるようなタイプではないし、翻って言うと、自分が納得しない限り答えを提示されてもよくわからない、、と言う感じですので、今回出会った記事は自分を代弁してくれた!とは思っていません。

それを読んだ結果、自分の考えがとてもよく纏まった と言う程度のものです。


それでも彷徨っていたボールが衝撃とともに収まるべき穴にすっぽり嵌まったような感覚は、「これこれ!」と毛穴が浮くほどの高揚感をもたらしました。



ーー簡単に言うと、滅びゆくジャンルに一人ずつ少人数の新人を入れて延命治療をしても、ジャンルの中の人に無駄に希望を与えてしまって寧ろ逆効果じゃないか?という尖った意見と、そのジャンルの中の人が正しく絶望することがまず必要なんじゃないか?というこれまた尖った提案を出した人(その人は、そのジャンルの永い住人でもあり新人でもあった)に対して取材をしたベテラン記者が、なるほど、、、と唸る というもの。ーー



自転車にも、田舎にも、立場としては当てはまってしまう事柄ですし、自分はどちらにもどっぷり浸かっている人間なので、他人事ではないし、この人の言うことは非常に理解できる と言う思いもあります。


ただ「黙ってその時を待つ」と言うほどマイナス思考の人がとても多い中で、これじゃいけないからこうしよう と立ち上がる人たちに僕は共感したい。

ただ、その立ち上がっている人たち(自分も含め)にも旧来の考えは蔓延しており、それがマイナージャンルの悲しき性。滅びゆくジャンルには新しい風が入っていない。



ブログを書く という行為を続けてしばらく経ちますが、やはり文字を書く というのは思考の整理にとても役立つ。



風が入れば、ジャンルは滅びずに済む 別の形へと変貌するのではないか。という具合に、今書いたことを逆から読み解いていくと、今度はプラス思考になる。


風が入る間口を広げられるのか?

現状、一人ずつ、一人ずつマイナージャンルに入ってくる新人がいる という中で、風を入れられるか?また、風を受け入れられる準備ができているか?


言っておくが、一人ずつ入ってくる というのは「風」ではない。


なぜなら旧来の人間の方がコミュニティを形成しているが故に強い。一人の意見など「違う」の一言で終わる。


たとえば、自転車に風は入ってきたか?


僕の感覚からすると、入ってきた時期が間違いなくあった。

たとえばピストバイクブームは、それまで変人しか乗ってこなかったスポーツサイクルに、ファッションと独自の誇りを持ち込んだ。日本のスポーツサイクル文化の中に空白地帯があって、結果的にそこにスッと入り込んだ。ようにその時は思えた。


結果、スポーツサイクルはいろんな意味で拡大した。

だけど残念ながら、スポーツサイクル文化には風を受け入れられるほどの間口の広さとゆとりが無かった。

いいとこ取り という選択はせず、毛嫌いに発展した。


やはり、変化を嫌う。


「違う」のだ。




スポーツサイクルというジャンルには、せいぜい細分化されたジャンルは7つ?8つ?ほど。


田舎は、地域によっていろんな色がある。

僕は、田舎の数だけその土地それぞれの思考がある と思っている。


ただ思考の根っこは、経験や見聞の上でどこの田舎も一緒だと思っているが、そこに風が入っているか、無風か というところでかなり違う。


関東からの移住者がとても多い信州はともかく、岐阜の石徹白(渓流釣りをするので偶然知っていた)は風が(他に比べ)ピューピュー吹いているように見える。



ただ残念ながら、本当は風通しのいい田舎は無いんじゃないか と思っている。

そもそも、風が入りやすいような動線設計ではないので、風が入りたがらない。


とにかく、まだ風は弱い。そして自分の愛したジャンルの間口は無いに等しい。



自分の世代やZ世代の間に間口が広がるとは全く思えないので、その先の次世代に向けて間口を整えるしかないと思っています。



って、あぁ、それってうちの息子の世代か。


お父さん、がんばろ。



豊田市稲武の自転車屋 土本自転舎

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